私のホームページをリニューアルします!!

 平成15年10月にホームページを立ち上げて、毎日更新して情報を提供してまいりました。アクセス数も28万回を超えていました。昨年5月に議員を引退してあらたにホームページを立ち上げました。しかしながら、今年5月にシステムの不具合に遭遇し、愛読者の皆さんに大変ご迷惑を掛けました。このたび、あらたなサーバーを使って私のホームページを立ち上げることになり、準備を進めていました。来週に立ち上げることになります。

私の言いたいこと、思っていること、街の話題、私の周囲で起きた出来事(二人農業の経過・収穫)などを今後も書き込みます。特に、東有田地区、諸留町の話題・課題も載せるつもりであります。さらに、市政の動き、議会の動きなども『是は是、非は非』の基本で書き込んでいきます。色々な情報がありましたら、提供いただくとありがたいです。今後ともご愛読頂けます様よろしくお願い致します。

中野議員もボランテァ活動!!

 昨日、上諸留町片峰地区の民家の藁葺きの家の屋根の片面がずり落ちた現場は後片付けで大変な作業になっている。30日午後から31日に掛けて親戚、近所の方々による落ちたカヤ・杉の皮などを片付けが始まった。軽トラック2台と2トン車でとりあえず共有山に一時保管することになった。100年以上経過した藁葺きはススが舞い、顔も黒くなる始末。マスクをはめて大量の藁葺きを運び出していた。

中野議員も地元議員として現地視察。作業服で来ていたので、そのまま後片付けに加勢をする。3時間近く藁葺きを運び出す作業を加勢したこともあり、作業服、顔も真っ黒になっていたという。地元議員がここまですることに対し、集落の方々より感謝の言葉が伝わって来た。聞くところ、市が実施している日田杉の利用を促進するための事業を活用することも中野議員の計らいで決まったとか。少しでもしてもらった事に一人暮らしの所有者は有難く感謝していた。

突然の出来事で、地元の片峰地区は田植え作業の真っ最中でしたが、一時田植え作業は中断し、藁葺き後片付け作業に加勢する助け合い精神には頭の下がる思いでした。原型復帰の藁葺き屋根に戻すのには約1000万円近くかかるという。原型復帰は無理と分かりトタン復帰の屋根になるという。個性ある昔風の藁葺きの家が1軒無くなることに寂しい思いもあります。

世には不思議なことが・・・

 世には不思議なことが起こるものだということが分かった。今朝午前7時半過ぎ、携帯電話がなった。友人からの電話でした。「近所で藁葺きの家の屋根が落ちた。現場を見て欲しい」との電話でしたので、良く理解せずに現場に向かった。上諸留町片峰地区でした。1軒だけ藁葺きの家で東有田地区でも珍しい藁葺きの家でした。東有田地区では藁葺きの家は上諸留町元市議でした財津保氏宅と東羽田町の熊ノ尾地区に一軒あります。どの家も昔風の風格ある藁葺きの家でした。

ところが、今朝何時か分からないが、突然、屋根の部分がずり落ち、無残な姿になっている。ここ最近、藁変えをしていなく、老朽化していたのとのこと。ご主人が亡くなっておばさん一人暮らしになっている。近所の方も集まっていたが、どうしていいのか対策が見つからず、途方にくれていた。一人暮らしであるので何か補助があるのではないかと言うことで、市役所各課にお願いする。

しかしながら、個人の財産である、市役所は個人の財産には手は出させいと言う。当然である。壊れた部分が市道を影響があったとか、あれば対策をするかもしれないが、今回の場合は出来ないのが当然であろう。家主も理解し、近所の方も落ちた藁葺きを二日間で片付けるという。困ったことが起これば、近所の方々が総出で加勢をして助けることは嬉しいことである。それにしても、老朽化している藁葺きの家が一軒無くなったことになる。原型復帰はするが、藁葺きではないという。

自治会長研修で地域防災を考える!!

 自治会連合会総会後、自治会長研修会が開かれた。山口大学の瀧本先生から「地域防災を考える!!自主防災組織の活性化」について講演が1時間あった。ゲリラ豪雨などあり、私の住んでいる地元でも現在、防災組織化に向けて取り組んでいるので興味もあり、熱心に耳を傾けた。

日田市自治会連合総会開かれる!!

 平成24年度日田市自治会連合会総会が今日午後2時からパトリア日田小ホールで開かれた。163自治会のうち、145自治会長が参集した。岩里会長が挨拶し、長年自治会長を歴任した方々に原田市長から感謝状が贈呈された。28年間自治会長を歴任した毛利さんをはじめ21年の安岡さん、4年以上自治会長を歴任した方々に贈られた。我が諸留町前自治会長の梶原宗剛さんも頂いた。ご苦労様でした。

続いて原田市長、井上市議会議長が来賓挨拶をして、市関係職員の紹介があった。石松副市長が職員を代表して挨拶し、それぞれ各部長、振興局長、振興センター長の自己紹介があった。次に平成23年度会務報告、決算報告があり質疑があった。さらに、新年度の事業計画、予算案などが上程され質疑になった。質疑の中で、市からの事務委託料の件が質疑されたが、自治会長の中で認識の違いも見れた。旧郡部の自治会は合併当初から自治会予算に上程して、自治会長手当、班長手当などは支出するように通達が出されているので、殆どの自治会はそのように取り扱っているようです。

しかしながら、旧日田市の自治会の中には、今だ、市からの事務委託料は自治会長手当と認識している自治会もあるようです。市、および連合会理事が毅然たる態度をとって、全自治会が一度、市からの事務委託料を自治会予算に計上して、その後に支出するように指導すべきと感じる。自治会によっては市から事務委託料と自治会からも手当を頂いている自治会もあるとか。関係住民が知れば大きな問題になるかもしれない課題も抱えているようだ。私の自治会も市からの事務委託料は別通帳で処理しているが、来年度当初から一本化することにしている。当然、自治会予算に計上して、公金としての位置付けもはっきりしていきます。すでに各班長にも報告し了解している。

藤蔭高校吹奏楽部が福祉施設に・・・

昨日午後2時過ぎ、自宅近くにあるひまわりデイーサービスに藤蔭高校の吹奏楽部の生徒50人が訪問し、入居している高齢者の前で曲の披露をした。たまたまディーサービスに用事があり出向いていた時の訪問でした。トラックにドラムなどを備え付け、大きな楽器も積み込み、生徒はマイクロバス2台に分乗しての訪問でした。アンコールも出て、高齢者は楽しんでいました。

演奏が終わり、生徒達が入居者の方々に近づき、一人ひとり声を掛け励ましている姿を拝見しました。高校生がこうした活動をすることは大切であります。聞くところ、市内殆どの福祉施設を昨日と今日廻り演奏するとのこと。頼もしい高校生を見せて貰いました。

パンフミスで市民は怒っている!!

川開き観光祭2日目の最大の催し物はことぶき通り、駅前をお祭り広場に模様替えして、今回の川開き観光祭に出場した芸能隊などが一同に観覧できるイベントである。今年は昨年前と少し内容を変えて「水郷日田どんたくカーニバル」としてパレード部門、パフォーマンス部門に分かれて踊ったり歌ったりしながら市民に披露するようにパンフになっていた。

ところが、5月15日に各世帯に配布された川開き観光祭のパンフの中に、「水郷日田どんたくカーニバル」については、何時から始まるのか書かれていなかった。近所の方が日田まつり振興会事務局に問い合わせたという。午前10時から始まっているとか。慌てて会場に向かったが、見たかった団体の行進は終わっていたとか。その市民は怒りが収まらないかったようで、私の自宅まで来て苦情を述べた。

過去のお祭り広場の開始は午前11時から始まっていた。ところが今年は午前10時から始まっていたとか。パンフを作成する時に、時間を入れないで作成したことは重大なミスといえる。前日の音楽パレードでも地図の中に通過時間は書かれているが、何時からスタートすると大きくは書かれていない。その市民は見たかった団体の行き先を見つけて観覧したとか。パンフを見ると他の催し物は何時から始まると書かれているが、最大の催し物については開始時間が書かれていなかったのは大きなミスと言えるであろう。

豪華な花火大会2日目!!

今年も川開き観光祭花火大会2日目の写真撮りに三隈川にバイクで出向く。午後7時半頃、銭渕橋付近に着く。すでにカメラを構えている方々が20名近くいた。その一角に入り込んで花火打ち上げまで暫しのカメラ撮りの技術を習った。毎年、この場所に構えている方々はプロ級の方々で花火撮りは専門家である。30分ぐらい打ち上げ花火の写真を撮って、寒くなったので早めの引き上げとなった。

ハンギリ源平合戦、豪華な花火大会も・・・

日田の最大の祭りでもある第65回日田川開き観光祭は水神祭から始まり、三隈川ではキャンペンレディ委嘱式、ハンギリ源平合戦、水上弓道大的射抜大会などがあり、パトリア日田、中央公園、日田駅前ステージなどで多彩な行事が開催された。ハンギリ源平合戦はストリートひたの主催で開かれ、桶に乗って風船割が行われた。夜は華麗な花火大会も開催された。

初夏の訪れ川開き観光祭が・・・

夏の訪れを感じさせる川開き観光祭1日目が始まった。今日は日田の高校・中学生、小学校の生徒児童1500人による音楽大パレードが市役所を出発し、市街地を通り竹田公園までの5kmを行進した。先頭を藤蔭高校吹奏楽部、日田林工高校吹奏楽部、昭和学園高校吹奏楽部と続き、三隈中・大山中吹奏楽部が続いた。

小学校鼓笛隊先頭は日隈小学校、咸宜小学校、桂林小学校、高瀬小学校、三和小学校と続いた。地元の有田小学校は最後から3番目の15番目でした。森山校長を先頭に毎日猛練習してきた鼓笛の成果を正々堂々と行進しながら演奏していた。各学校とも行進曲は校歌、市歌は殆ど入れ、後は学校でお得意の曲になっている。「上を向いて歩こう」「サザエさん」「鉄腕アトム」なども演奏されていた。