「いかなる『70年談話』であるべきか」

2015/08/12

衆議院議員 岩屋たけしのマガジンから・・・「いかなる『70年談話』であるべきか」・・・・8月9日は長崎への原爆投下から70年の日。先の広島に続き、あらためて被爆者ならびに被災地の皆様に心を寄せ、越し70年の歳月に思いを致すとともに、我が国の今後に思いを馳せるひと時を持ちたいと思います。

先の衆議院予算委員会では、広島での式典の際に安倍総理が「非核三原則」に言及しなかったということが、ことさら追及の対象になりました。広島で敢えて言及しなかったのは、おそらくは、広島、長崎の両会場での総理式辞がセットで起案されていたからでしょう。「意図的に広島での式辞から『非核三原則』を抜いたのだろう」というのは相当に穿った見方だと思うのですが、時あたかも「平和安全法」の参議院審議の真っ最中であり、その中で、そもそもあり得もしない「核兵器の輸送」などが話題になっていた矢先でもあっただけに、妙に詮索を受けることがなきように事務方も配慮すべきだったのだと思います。

そんな中、来る14日に安倍総理が「戦後70年談話」を発表するということで、内外の注目が集まっています。有識者懇談会の先の提言を受け、目下、政府与党首脳間でその内容を精査しているところだと拝察します。当初は総理の個人的談話にするとの案もありましたが、過去の例に即して正式に閣議決定し、政府としての正式な談話にすることになったことは、妥当な判断だと思われます。「過去の談話と形式が違う」というだけで、いたずらに批判の対象になってしまうようなことは、この重要な局面において避けるべきだと思うからです。

焦点は「侵略」や「お詫び」という文言が入るかどうかと言われています。本来は「表現」の問題というよりも、まさに「誠意」の問題なのであり、たとえ、同じ言葉を使わずとも真意が伝わればいいようなものではありますが、実際にはなかなかそうもいかないのが国際政治の現実で
もあります。私個人は、表現の問題で誤解を受け、ギクシャクするくらいであるならば、過去の談話で表された「侵略」や「お詫び」の文言をしっかりと踏襲し、あらためて我が国の反省の意を明らかにした上で、戦後日本の平和な歩みや国際貢献に言及するとともに、地域と世界の将来を見据えた未来志向の談話にしていただきたいと願っています。

「侵略」の定義が必ずしも定かでないというのは、当の村山元総理も当時の国会答弁で述べておられるとおりなのだとしても、少なくとも「対華21カ条要求」以降の我が国の中国大陸に対する行為は、通常、観念されている意味での「侵略」であったと認めなければならないでしょう。そして、そのことによって中国大陸のみならず、アジア近隣諸国に苦痛を与えたことも事実であるならば、そのことを痛切に反省し、あらためてお詫び申し上げるということは、決して我が国の過去の歩みのすべてを否定するということにはならないものと思います。

先の大戦は、対英米、対中国、対東南アジア諸国といった極めて複雑な要素が入り混じった戦争であって、一言で総括するのはそもそも無理があるところでもあります。しかし、大局的観点に立って見れば、我が国は最後に遅れて登場した「帝国主義国家」だったのであり、それがゆえの国際社会からの反発や警戒に十分に対応することをせず、最終的には当時の世界の潮流を読み誤り、ついには国際連盟を脱退するなどして、自らを窮地に追い込んでいったのだと思います。

結果、ほぼ全土にわたる無差別爆撃を受け、二発の原爆を投下され、300万人に及ぶ犠牲を払うこととなりました。しかも、そのうち、100万人は終戦間際の犠牲者だったことを考えれば、無謀な戦争を仕掛け、その終戦の判断をも誤った当時の為政者、指導者の責任は決して免れないものと思います。

その我が国の行為が、ポツダム宣言に書かれているとおりのものであったのかどうか、極東軍事裁判に示された判決のとおりであったのかどうか、果たして戦争責任を負わなければならないのがA級戦犯の人たちだけであったのかどうか、、、そこは、いまなお様々な議論のあるところです。しかし、我が国はそのすべてを受け入れることによって「戦後」をスタートさせ、やがて主権を回復して国際社会に復帰するとともに経済復興を成し遂げ、この70年を名実ともに平和国家として歩んできたのです。私たちは今後とも決してそのことを忘れてはならないのだと思います。

いま、国会で議論されている「平和安全法」は、あくまでも紛争を防止し、抑止することを目的とした法案です。戦後の70年を通じて自他ともに認める先進民主主義国家となった我が国がこの先、戦争を志向する理由など何処を探しても見当たりません。しかし、そうでありながら、
少なからぬ国民の皆さんが不安や心配を抱いているというのは、先の戦争に対する総括が必ずしも十分でないというところに起因しているのでしょう。そういう意味で、この70年の節目の時に発せられる「談話(政府の公式見解)」は、近隣諸国や世界に向けてのものであるのみな
らず、国民に向けて発せられる極めて重要なメッセージになるものと思われます。最終的には安倍総理が様々な要素を総合的に判断されて決定することとなるでしょう。あらゆる意味で、「適切」な談話となることを心から期待しているところです。岩屋たけしメルマガから・・・