ここ30年間の市政運営の特徴は・・・・

雲行き怪しい雲市役所25.4.11三隈川

私が市議在職時から今日までの市政運営を担当してきた市長について少し述べてみたい。石松市政はTDK企業誘致、老人福祉センター建設、葬祭場建設、祇園会館建設、図書館建設など箱物建設が続いた時代でした。総合体育館もその時代でした。済生会日田病院誘致もその時でした。議会も特別委員会を設置して全国の済生会病院の視察が続いたことを想い出している。平成3年には大型台風17号・19号が日田を襲い、未曾有の被害を受けた。日田林業の再生が始まった。平成4年には現在の市庁舎が完成した時でもあった。

平成7年8月に大石市政に移った。イオン建設で市民上げて反対運動や場外馬券場反対などもあった。平成10年に陸上競技場がオープンし、大石市長自ら競技場を走る姿を頻繁に見ていた。民間出身の市長であったこともあり、大胆に市政運営をしていた。環境重視を重点課題としてISO14001認証取得やバイオマス資源センター建設などもあった。給食センター建設時には強化磁器の使用で育友会と論争もあった。中断していたウッドコンビナート建設にもゴーサインを出したこともあった。日田郡との合併で対等合併なのか吸収合併なのかも揉めにもめた時期もあった。今に思えば行動力、決断力は抜群でした。反目も多かった。

佐藤市政は激戦の中で旧郡部の支援で生まれた。そのためもあり、4年間、旧郡部に対する待遇は違っていた。国の景気対策事業もあり、4年間で10年分の仕事をしたとも言われていた。それだけ、箱物建設、合併に伴う旧郡部への優遇策が目白押しでした。ひな祭り健康マラソン大会補助金、クンチョウ酒造問題、収入役問題など議会とその都度、揉めていた。議員の反発も大きかった。全く戦争にならない戦いでも、コツコツ積み重ねることで明るい展望があることも証明された。

原田市政に変って3年目を迎えている。昨年の豪雨災害復旧工事が最優先課題として取り組みはされているが、市民の反応は見えないという声が大多数である。人事にも間違いがあったのではと言う市民もいる。ともあれ、来年は原田市政にとって正念場の年になろう。もう少し原田カラーを出すべきと言う声が大きい。市役所での仕事を減らして、地域住民との接触を増やしたら。ある一部の方々だけとの接触では駄目ですよという市民の声が大きくなっていることも事実。